fc2ブログ

プロフィール

peace2014

Author:peace2014
KOBEピースiネットのブログにようこそ!
平和をめざす神戸市民のアクションを大きく育てるために力を合わせましょう。

最新記事

最新コメント

月別アーカイブ

カテゴリ

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR

2015年戦争法制反対 心に響くメッセージ

これまでに出会った、ほかでもない発信している本人の頭と心が確かに働いて溢れてきたと思われる本物の言葉を記録してみたいと思います。多くの人に共有されますように。


【1】 7.15安保法制に反対する大阪集会での学生のスピーチ
(関西学院大学 女子学生 @ SEALDS KANSAI )
こんばんは、今日はわたし、本当に腹がたってここにきました。
 国民の過半数が反対しているなかで、これを無理やり通したという事実は、紛れもなく独裁です。
 だけど、わたし、今この景色に本当に希望を感じてます。
 大阪駅がこんなに人で埋め尽くされているのを見るのは、わたし、初めてです。この国が独裁を許すのか、民主主義を守りぬくのかは、今わたしたちの声にかかっています。

 先日、安倍首相は、インターネット番組の中で、こういう例を上げていました。『喧嘩が強くて、いつも自分を守ってくれている友達の麻生くんが、いきなり不良に殴りかかられた時には、一緒に反撃するのは当たり前ですよね』って。ぞーっとしました。
 この例えを用いるのであれば、この話の続きはどうなるのでしょう。友達が殴りかかられたからと、一緒に不良に反撃をすれば、不良はもっと多くの仲間を連れて攻撃をしてくるでしょう。そして暴力の連鎖が生まれ、不必要に周りを巻き込み、関係のない人まで命を落とすことになります。

 この例えを用いるのであれば、正解はこうではないでしょうか。

 なぜ彼らが不良にならなければならなかったのか。そして、なぜ友達の麻生くんに殴りかかるような真似をしたのか。その背景を知りたいと検証し、暴力の連鎖を防ぐために、国が壊れる社会の構造を変えること。これが国の果たすべき役割です。

 この法案を支持する人たち、あなたたちの言うとおり、テロの恐怖が高まっているのは本当です。テロリストたちは、子供は教育を受ける権利も、女性が気高く生きる自由も、そして命さえも奪い続けています。

 しかし彼らは生まれつきテロリストだった訳ではありません。なぜ彼らがテロリストになってしまったのか。その原因と責任は、国際社会にもあります。9.11で、3000人の命が奪われたからといって、アメリカはその後、正義の名のもとに、130万人もの人の命を奪いました。残酷なのはテロリストだけではありません。

 わけの分からない例えで国民を騙し、本質をごまかそうとしても、わたしたちは騙されないし、自分の頭でちゃんと考えて行動します。

 日本も守ってもらってばっかりではいけないんだと、戦う勇気を持たなければならないのだと、安倍さんは言っていました。だけどわたしは、海外で人を殺すことを肯定する勇気なんてありません。かけがえのない自衛隊員の命を、国防にすらならないことのために消費できるほど、わたしは心臓が強くありません。

 わたしは、戦争で奪った命を元に戻すことができない。空爆で破壊された街を建て直す力もない。日本の企業が作った武器で子供たちが傷ついても、その子たちの未来にわたしは責任を負えない。大切な家族を奪われた悲しみを、わたしはこれっぽっちも癒せない。自分の責任の取れないことを、あの首相のように『わたしが責任を持って』とか、『絶対に』とか、『必ずや』とか、威勢のいい言葉にごまかすことなんてできません。

 安倍首相、二度と戦争をしないと誓ったこの国の憲法は、あなたの独裁を認めはしない。国民主権も、基本的人権の尊重も、平和主義も守れないようであれば、あなたはもはやこの国の総理大臣ではありません。

 民主主義がここに、こうやって生きている限り、わたしたちはあなたを権力の座から引きずり下ろす権利があります。力があります。あなたはこの夏で辞めることになるし、わたしたちは、来年また戦後71年目を無事に迎えることになるでしょう。

 安倍首相、今日あなたは、偉大なことを成し遂げたという誇らしい気持ちでいっぱいかもしれません。けれど、そんな束の間の喜びは、この夜、国民の声によって吹き飛ばされることになります。

 今日テレビのニュースで、東京の日比谷音楽堂が戦争法案に反対する人でいっぱいになったと見ました。足腰が弱くなったおじいさんやおばあさんが、暑い中わざわざ外に出て、震える声で拳を突き上げて、戦争反対を叫んでいる姿を見ました。

 この70年間日本が戦争せずに済んだのは、こういう大人たちがいたからです。ずっとこうやって戦ってきてくれた人達がいたからです。

 そして、戦争の悲惨さを知っているあの人達が、ずっとこのようにやり続けてきたのは、紛れもなくわたしたちのためでした。ここで終わらせるわけにはいかないんです。わたしたちは抵抗を続けていくんです。

 武力では平和を保つことができなかったという歴史の反省の上に立ち、憲法9条という新しくて、最も賢明な安全保障のあり方を続けていくんです。わたしは、この国が武力を持たずに平和を保つ新しい国家としてのモデルを、国際社会に示し続けることを信じます。偽りの政治は長くは続きません。

 そろそろここで終わりにしましょう。新しい時代を始めましょう。

 2015年7月15日、わたしは戦争法案の強行採決に反対します。ありがとうございました。

【2】 学生デモ 特攻の無念重ね涙 (7月18日朝日新聞「声」欄への投書)
無職 加藤 敦美 (京都府 86)
安保法案が衆院を通過し、耐えられない思いでいる。だが、学生さんたちが反対のデモを始めたと知った時、特攻隊を目指す元予科練(海軍飛行予科練習生)だった私は、うれしくて涙を流した。体の芯から燃える熱で、涙が湯になるようだった。オーイ、特攻で死んでいった先輩たち、同輩たち。「今こそ俺たちは生き返ったぞ」とむせび泣きしながら叫んだ。
山口県・防府の通信学校で、特攻機が敵艦に突っ込んでいく時の「突入信号音」を傍受し何度も聞いた。先輩予科練の最後の叫び。人間魚雷の「回天」特攻隊員となった予科練もいた。私もいずれ死ぬ覚悟だった。
天皇を神とする軍団で、貧しい思考力しかないままに、死ねと命じられて爆弾もろとも敵艦に突っ込んでいった特攻隊員たち。人生には心からの笑いがあり、友情と恋が溢れ咲いていることすら知らず、五体爆裂し肉片となって恨み死にした。16歳、18歳、20歳…
若かった我々が、生まれ変わってデモ隊となって立ち並んでいるように感じた。学生さんたちに心から感謝する。今のあなた方のようにこそ、我々は生きていたかったのだ。

【3】 8・23 アベ政治を許さない市民デモKOBE 集会でのスピーチ  「安保関連法案に反対するママと有志の会兵庫」の羽田さん
こんにちは、神戸市に住む羽田といいます。
今日は、「安保関連法案に反対するママの会兵庫」の一人としてお話をさせていいただきます。
子育ては少し落ち着いてきましたが、介護をしたり、仕事や家事で毎日バタバタと忙しくしている普通の一市民です。でも今は、何の肩書きもないそんな「わたし」が声をあげなければいけない、そう感じて、今日ここに立たせていただきました。

今から十数年前に周辺事態法が成立したとき、また、9.11以降、「対テロ戦争」に突き進むアメリカを真っ先に日本が「支持」したとき、私は一体何をしていたんだろうと考えています。
今、憲法に貫かれた「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」これらすべてが破壊されようとしています。もしあの時と同じように立ちすくむことしかできなければ、その先にどれほどの大きな後悔が待っているでしょうか。

日本が支持したイラク戦争で、犠牲になった民間人は10万人以上といわれています。命は二度と帰らないし、責任のとりようもないのだけれど…だれもその責任を取っていません。日本はこの戦争を検証も反省もしていません。
安保関連法案は、戦争を抑止するためのものだと安倍首相は主張していますが、過去の戦争の検証も出来ない政府をどうやって信じられるでしょうか?何の歯止めもない、あいまいな法案のどこに戦争を抑止する力があるのでしょうか。権力は暴走するし、普通の人々もまた、群集となって暴走するのだという歴史を知ってさえいれば、どこまでも恣意的に運用できるこの法案がいかに危険であるかということがわかります。
70年間アメリカに歪な片想いと従属関係を続けながら、日本国内では「すごいぞ、日本人!」と強い日本を鼓舞するちぐはぐさが本当に理解できないし、悲しいし、怒りに震えます。
ただ、そんな中でボロボロになりながらも非戦の誓いである9条だけは捨てずにこれたことは本当にすごい事だと思います。歴史学者ジョン・ダワー氏も「これは紛れもなく民衆の力の結果だ」と述べています。
貧困や差別や抑圧、あらゆる紛争の種に対し、非武装の日本だからこそできる支援や関わりがあるはずです。それこそが「積極的平和主義」なのだと思います。

私は、そういった自分の意思を示したくて、デモや集会に出かけてみました。
これまで平和運動を引っ張ってこられたであろうたくさんの人の中で、私はといえば、どこかモヤモヤと居心地の悪さを感じていました。そのモヤモヤの正体を考えてみると、「わたしは、わたしの言葉で表現したい」という思いに辿り着きました。同時に、自分の言葉もスタイルも持ち合わせていなかったということが急に情けなく恥ずかしく思えてきました。
ただ、ふと日常を見回しても、なかなか同世代の仲間は見当たりません。特に同世代のママ友とは、政治の話はタブーという暗黙の了解があるようです。
思いきって政治の話をしても、ドン引きされるか、笑われるか、「えらいねー」と言われて終わるか。そのうちに話題にすることもやめてしまっていました。日常生活の中で、普通に政治の話ができる人には信じられないことかもしれませんが、私にとっては、本当にドキドキするし、勇気のいることです。
たわいもない話で笑ったり、子どもの事や学校の事を話したりするように、普通に政治や社会のことも話したいだけなのに、不安や悶々とした気持ちだけが胸の中をぐるぐる廻っているだけでした。でも、同じ思いを抱えた点と点がつながれば、けっこう大きな力になるんじゃないか?というふうにも想像していました。

そんなある日、「安保関連法案に反対するママの会」が発足したことを知り、「だれの子どもも ころさせない」というフレーズが目に飛び込んできました。このたった一言が私の胸にすとんと落ち、涙がじんわりと出てきました。
京都に住む20代の女性がインターネットの署名サイトをたった一人で立ち上げたことから「ママの会」は始まり、その輪はものすごい勢いで全国に拡がっています。
「だれの子どもも ころさせない」この言葉を唯一の合言葉にして、あなたが、あなたの場所で声をあげてほしいという呼びかけに、私はいてもたってもいられなくなりました。これまで思っていた「団体」とか「組織」の構造とは全くちがう、一人ひとりが好き勝手にあちこちで立ち上がるというスタイルに私はとてもワクワクしました。

ただ、「ママ」という呼び名がどうしてもひっかかってしまったことも事実です。
母親という属性を掲げて行動することへの抵抗感、一方で、「ママ」と呼びかけることによって、それまでのママの殻を打ち破り、立ち上がるきっかけになるかもしれないという期待、いろいろな立場の人がそれぞれの場所で声を上げることが大切だと思う気持ち。
そんな迷いを抱えたまま「とにかくやってみよう」と決めて、7月17日、Facebook上に「安保関連法案に反対するママの会@兵庫」というグループとページを立ち上げました。
数多くある反対運動の中で「だれの子どもも ころさせない」というこの言葉が一番共感できたから…と、パパや結婚されていない方も次々と参加してくれました。集まってくれた方の思いを知るにつれ、私の迷いはすーっと小さくなっていきました。グループの方は「ママと有志の会」と名前も変えました。
8月15日、終戦の日には、SNSでつながったメンバーが初対面し、三宮でPeaceスタンディングと称して兵庫独自のチラシをまきました。来週29日には、六甲道で弁護士さんを招いた憲法カフェも企画しています。地元議員さんへのはたらきかけも大急ぎで準備中です。

こんなふうに新しい仲間と出会う一方で、周りの友達からも「よくわからないから、ちゃんと知りたい」とか「署名だったらできるから教えてね」とか、少しずつですが言われるようになりました。
もしかしたら、今の政治状況に漠然とした不安を抱えながらも、語る「言葉」が見つからないのは、私だけじゃなかったのかもしれない、そんなふうに思えてきました。
なぜなら、なによりも命が大切だということ、戦争が奪い去っていくものの大きさを私たちは知らないはずがありません。もっと優しく暖かい自分たちの言葉で命と平和を語りたい、主権者の1人として非戦という道を選択したい、そう気づいた一人ひとりがつながって、いま大きな力になろうとしています。

あらゆる戦争の根っこには、差別の心があります。私は、この人間の一番弱くて醜い「差別の心」を日常から少しでも無くしていく努力をしたいと思っています。
遠くのデモに出かけたり、アクティブな活動はなかなかできなくても、自分の子どもに「あなたが大切なんだよ。だからこそ同じように、すべての人が大切にされるべき存在なんだよ」と伝えていきたいし、それは私たち親ができる立派な平和活動なんだと信じています。

安倍首相に言いたいのは、

すべての子どもの、命を奪わないでください。主権者としての自由を奪わないでください。
すべての子どもの、生きる力、平和をつくる力を奪わないでください。

ということ。

世界中、「だれの子どもも ころさせない」
この言葉を胸に、知識をつけ感情を意志に変えて、考え続け行動し続けたいと思います。
どうか、共に歩む仲間として、暖かく見守り応援してください。

【4】 肉球新党「猫の生活が第一」さんの作品
CF6xW1WUEAA361v.jpg

安倍ニモマケズ
石破ニモマケズ
高村ニモ公明ヤ維新ニモマケヌ
平和ナココロヲモチ
慾ハナク
決シテ諦メズ
イツモ官邸前デ抗議シテヰル

東ニ解釈改憲ガアレバ
行ッテ猫パンチ
西ニ集団的自衛権容認アレバ
行ッテ爪ヲトギ
南ニ米軍基地ガアレバ
行ッテココカラナクナレトイヒ
北ニ領土争ヒヤ紛争ガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ

ヒデリノトキニモ集会ニイキ
デモノトキハオロオロアルキ
デキノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフ猫ニ
ワタシハナリタイ

【5】 自由と平和のための京大有志の会 声明書
戦争は、防衛を名目に始まる。
戦争は、兵器産業に富をもたらす。
戦争は、すぐに制御がきかなくなる。
戦争は、始めるよりも終えるほうが難しい。
戦争は、兵士だけでなく、老人や子どもにも災いをもたらす。
戦争は、人々の四肢だけでなく、心の中にも深い傷を負わせる。
精神は、操作の対象物ではない。
生命は、誰かの持ち駒ではない。
海は、基地に押しつぶされてはならない。
空は、戦闘機の爆音に消されてはならない。
血を流すことを貢献と考える普通の国よりは、知を生み出すことを誇る特殊な国に生きたい。
学問は、戦争の武器ではない。
学問は、商売の道具ではない。
学問は、権力の下僕ではない。
生きる場所と考える自由を守り、創るために、
私たちはまず、思い上がった権力にくさびを打ち込まなくてはならない。
*****
わたしの「やめて」
くにと くにの けんかを せんそうと いいます
せんそうは 「ぼくが ころされないように さきに ころすんだ」
という だれかの いいわけで はじまります
せんそうは ひとごろしの どうぐを うる おみせを もうけさせます
せんそうは はじまると だれにも とめられません
せんそうは はじめるのは かんたんだけど おわるのは むずかしい
せんそうは へいたいさんも おとしよりも こどもも くるしめます
せんそうは てや あしを ちぎり こころも ひきさきます
わたしの こころは わたしのもの
だれかに あやつられたくない
わたしの いのちは わたしのもの
だれかの どうぐに なりたくない
うみが ひろいのは ひとをころす きちを つくるためじゃない
そらが たかいのは ひとをころす ひこうきが とぶためじゃない
げんこつで ひとを きずつけて えらそうに いばっているよりも
こころを はたらかせて きずつけられた ひとを はげましたい
がっこうで まなぶのは ひとごろしの どうぐを つくるためじゃない
がっこうで まなぶのは おかねもうけの ためじゃない
がっこうで まなぶのは だれかの いいなりに なるためじゃない
じぶんや みんなの いのちを だいじにして
いつも すきなことを かんがえたり おはなししたり したい
でも せんそうは それを じゃまするんだ
だから
せんそうを はじめようとする ひとたちに
わたしは おおきなこえで 「やめて」 というんだ
            じゆうとへいわのためのきょうだいゆうしのかい
スポンサーサイト



<< ニュースダイジェスト8/21~8/27 | ホーム | 9月のピース・アクション・カレンダー >>


コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

 ホーム