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伊勢崎賢治講演会雑感

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大好きなアケビの花発見!ジェームス邸の向かいの民家で、一週間ほど前に。

伊勢崎賢治さんの講演会で学んだこと

4月9日の講演会は大変に刺激的で、頭の中の整理に少し手間取っている。

「なるほど、そうだったんだ!」と思うだけではダメ。手渡された新しい認識をこれまでの自分の論理の中に吸収したり、これまでの観念を修正して新たな論理を構築したりしないといけなくなる。


【そうじゃないかと思ってた、という事柄】
個別的自衛権と集団的自衛権を対立的にとらえるのは間違いである。
両方とも自衛権という概念(他国防衛の話じゃない)で自国に危険が及ぶときに発動される。集団的自衛権とは複数の国に危険が及ぶときにその複数の国が発動する自衛権で、個別的自衛権を含む概念。「個別的自衛権までは憲法も禁じていないが集団的自衛権は違憲」という論はおかしい。個別的自衛権と解釈される武力行使がOKなら、自国と他国がそれぞれに脅かされている場合の集団的自衛権としての武力行使もOKのはず。


【明確化してもらった事柄】
自国に危害が及ばないのに他国とともに武力行使するのは集団的自衛権の発動ではなく軍事同盟の機能。アベ政権の説明は集団的自衛権の定義を知らないものといえる。
フルスペックじゃなく他国への危険が自国に及ぶ場合に限って発動するから問題ない、と言ったが、それが集団的自衛権の本来の意味。自国に危険が及ばないなら自衛とはいえない。
日米軍事同盟を大幅に強化するための目くらましに「集団的自衛権」という言葉を使っている。


【国連憲章と憲法の関係】
集団的自衛権も個別的自衛権も国連憲章で認められている概念で、そのいずれの行使も各国が保持する権利であるとされる。理屈としては個別的か集団的かを問わずいずれの自衛権も国連の容認するところである。そして、通常、「自衛権」とは自衛のための武力行使の権利を指している。しかも、敵地の攻撃や先制攻撃も、自衛のために必要というリクツが成り立つなら容認される。

そこで憲法との関係が問題になる。日本国憲法第九条が武力行使と武力による威嚇をともに禁じているから。この憲法を制定した意味は、原理的に自衛権の発動としての武力行使を認める国連憲章の下で、日本国民はあえて自らの選択として武力行使の権利を放棄している、ということ。「交戦権はこれを放棄する」と書いてある。

国連憲章が定める/容認する範囲では(自衛のためといえるとき)武力を発動する、というのであれば、憲法を変えないといけない。きちんとした憲法解釈ではそうなるところ、日本国民および政府の従来の解釈では、もとの概念をあいまいにし、個別的自衛権を例外として容認してきた。このように、ズルズルと自衛のための武力行使は容認される、としてきたことがあって、その上に、一昨年の「解釈改憲」がある。
第二次世界大戦のあとの世界で、あからさまな侵略戦争は許されなくなっている。いつでも「自衛のため」と言わないと国連が許容しない。常任理事国も「自衛のため」と言える材料を「作って」攻撃を始める。「自衛のための武力行使は容認」はどこかで武力行使をし続けている米国などと変わりはない。


【自衛権ということばのいやな用法】
国連が原理的に認める個別/集団的自衛権であっても、攻撃の事実またはおそれがあったのかどうか、現実に自衛のためにやむをえず行われた武力の行使なのかどうか?ブッシュ大統領はイラクに侵攻するのは自衛権の行使だと言ったが、事実は侵攻されるべき理由がない国の徹底的破壊だった。国連はこれを裁けない。裁く側の安保理常任理事国が犯した罪だから、何か決議を上げようとしても拒否権を使われる。
  ということは各国の内部で自国政府に戦争をさせない力を大きくして未然に止めるしかない。

自衛権という概念、自衛のための戦争、というリクツが現実には自衛のためとはとてもいえない戦争にも使われてきた。権力が代表する利権集団の利益のための大罪を覆い隠す役目をしている。これが第二次世界大戦後の世界の現実だ。ベトナム戦争、湾岸戦争、アフガニスタン戦争以降の「対テロ」戦争、対「イスラム国」空爆…

ここまでが伊勢崎講演の前半、「定義の説明」の部分で考えたこと。

【PKOについて】
当初の、停戦後の平和維持→紛争解決までを見守る、という役割とはがらりと変わってしまった現実。住民保護を名目にPKOが中立性を失っていることが問題。
中立性を保つことは紛争の仲裁をする活動の必須の要件である。
そうでなければ紛争地への武力介入は武力衝突を拡大することになる。報復の連鎖と事態の泥沼化。
PKOの現場は今や戦場であって、非戦闘地域は存在しない。
南スーダンと激戦地のコンゴの間に国境と呼べるものはなく、出入り自由。この両者はともに戦闘地帯となっている。
→PKO部隊に入っている自衛官はすぐにも召還すべきである。派遣されている自衛官の命は今でも何の保障もなくリスクにさらされている。


【PKOが役に立つケース】
丸腰の軍人(将校クラス)が相争う勢力の両方に対して完全に中立的な立場で仲裁に入り、交渉のテーブルを用意すること。

【安保法制下で派遣される自衛隊の問題】
交戦権を放棄している日本から国際的には事実上の軍隊とみなされる自衛隊が来て、住民保護やかけつけ警護を名目に交戦することになる。国には交戦権がないので、自衛官が交戦した結果は自衛官個人の責任となる。捕虜虐待を禁じた国際法も適用されない。自衛官への配慮をまったく欠いている。改正PKO協力法は問題の多い現実を一層深刻化するばかり。

【私達へのメッセージ】
・ 何党が政権をとるかが問題ではない。誰が権力の座についても戦争をさせないために、市民の非戦のマインドを強化しなければならない。
・ 「九条の下で戦争してきた」現実を直視しよう。


【「紛争屋」の姿への感慨】
伊勢崎さんはPKO司令官として紛争地で活動した人しか知らない様々な辛い体験をされただろう。国々、特に大国の世界に対する関わり方にも大いに批判をお持ちだろう。それでもこの世界や人類に絶望してはおられない。世界がどこまで進歩してきたかをきちんとおさえて、進むべき方向を見定めようとしておられる。前の戦争に勝った5大国がいいように牛耳っているともいえるが、いかなる国もいきなり好きなように侵略することはできなくなっている。それは進歩だと認識しておられる。
「国連は世界政府ではありません。でもいつかは人権という規準で世界を治める機関になれるかもしれない」そんなことを言われた。リアリスト伊勢崎さんの中にある理想に触れた思いがした。

参考)
・ IWJのアーカイブ: http://iwj.co.jp/wj/open/archives/295698
(4月9日の講演会が収録されています。)
・ 2015年発行『新国防論-9条も米軍も日本を守れない』(伊勢崎賢治)
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